(本記事はブログ「あまみ便り」からの転載です。)

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「津代の古道」は今日の南海日日新聞でも記事がありますが、手花部集落が整備した古道で、手花部集落の墓地の先、津代港から赤木名へと抜ける道です。

津代港は1609年の薩摩藩の琉球侵攻の際に、最初に戦闘が行われて場所で、以前から気にはなっていましたが、今回、初めて行くことができました。

手花部集落の赤木名側の河口、マングローブがあるところから左へ曲がると手花部集落の墓地があります。まったく知らなかったのですが、ここには鹿児島の山川石などをつかった五輪塔など薩摩の役人のお墓が残されています。

ケンムン村の村長であり奄美博物館の館長・中山清美さんが説明してくれます。

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墓地を降り、海岸線沿いに少し進むと、さきほどの看板があります。

少し登って左手へ登ると市指定文化財の史跡「アナバリトフル」があります。トフルとは古い墓地のことで、薩摩侵攻以前はこういう穴に遺体をおき、後に洗骨をして改葬したそうです。トフルは砂岩を繰り抜いて作られたものが宇宿集落にもありますが、こういう赤土の山を繰り抜いたものは初めて見ました。

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きれいに整備された山道を歩いていきます。

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アナバリトフルから少し上がった所が平らに開けていて、サンゴのかけらが集められたものがあります。

中山さんの説明によると津代港で薩摩の軍勢と戦い戦死した遺体を埋葬したものではないかとのことでした。近くには穴になっているところもあり、改葬したものと考えれているそうです。

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古道はかなり厳しいところもありますが、危ない箇所には丁寧にロープが設置されています。

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道は何方向かにわかれていますが、今日はその内の赤木名へ最短で抜ける道でした。手花部の墓地からゴールの大島北高校の後ろのグランド脇に出るまで約1.8Km。1時間20分ほどの行程です。

赤木名に出ると前田川のふなだまりと呼ばれる場所です。マーラン船が沖に停泊し、小舟でこの船溜まりに行き来していたそうです。

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写真の左手奥に見えるのが赤木名城(グスク)がある場所。津代の古道が通っている場所も城(グスク)の可能性があり調査中だそうです。

古道沿いではホルトノキのかなり大きな木が多く、オキナワウラジロガシのように板根が多いのが興味深いところでした。かなり独特の形状をした木も多かったですよ。

整備した方によると夏でもハブの心配はあまりないそうですから、かなりの期間、使えるんじゃないでしょうか。

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Last-modified: 2012-02-18 (土) 18:35:08 (2825d)